相当前になるが、twitterで中森明夫氏のアイドルの定義が腹に落ちると呟いた。
読了。
— 弥紀 (@yaki2019) 2019年12月23日
アイドルとは「好き」になってもらう仕事。
狭義のアイドルについて、今までで一番腹落ちする定義。
若干暴走気味だがアイドルへの見識と愛に溢れた名著
第3回『アイドルになりたい!』第1章を大公開!|『アイドルになりたい!』刊行記念|中森 明夫 | webちくま https://t.co/nrYOqlVLXG
本稿では、なぜ腹に落ちると感じたかを内省することを通じて、アイドルの定義を考察していきたい。
なお、ここでの「アイドル」とは、現代日本において「アイドル」として自称・他称される「アイドル」である狭義のアイドルを指すものとする。
目次
定義の優劣の指標
一般的に、定義が適切かどうかの指標は以下のようにまとめられるだろう。
- 含むべきものを包含できること
- 含むべきでないものを排除できること
1は、機械学習などのモデル性能指標における「再現率」、2は「適合度/精度」に相当する*1。新型コロナなどの病気の検査の性能指標である「感度」は、ここでの「再現率」と同じ意味である。
なぜ、腹に落ちると感じたか。内省してみると、中森氏によるアイドル(狭義)の定義*2はこの点で優れていると考えたからだ。
以下、具体的に考察していきたい。
「アイドル〇〇」の排除
まず、中森氏の定義は「アイドル声優」など「アイドル〇〇」を排除できる。
なぜなら「アイドル〇〇」の本職は〇〇であり、「好き」になってもらうことではないからである。もちろん、その職業において人気は重要な場合も多いが、職業内部での評価指標が優越する限りは、アイドルではなくアイドル〇〇である。
この点に関して、アイドル - Wikipediaにおいて挙げられたアイドルの定義を見てみよう。
稲増龍夫やカネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義している。
この定義は「アイドル〇〇」を排除できていないため、直後で次のように判断留保せざるを得なくなっている。
意味合いからすれば、熱狂的なファンがいればスポーツ選手など芸能人でなくてもアイドルに該当するが
上記の適合度の点からすれば、定義の欠陥以外の何物でもなく、中森氏の定義の秀逸さがよくわかるのではないだろうか。
なお、〇〇の道を究めることをあきらめ、「好き」になってもらうことが主になったら、それは「〇〇もできるアイドル」だ。
パフォーマンスや外観の多様性を包含
次に、中森氏の定義はパフォーマンスや外観の多様性を包含できる。
「若い」「独身」「女性」「美形」「歌って踊る」「握手会」などの属性で定義すると、どうしてもそこからこぼれ落ちるアイドルが出てくる。それをアイドルではないと言うのは簡単だが、現実を無視することになり不誠実だ。
かわいくなくてもよい、若くなくてもよい、結婚していてもMAMAになっても、歌わなくても、ヴァーチャルであってもアイドルたり得るのだ。
「幸せを与える仕事」はどうか?
アイドルを「幸せを与える仕事」のように定義することもよくあり、何となく納得感がある。
しかしよくよく考えると、あらゆる仕事は誰かに幸せを与えていないだろうか。仮に不特定多数に向けて、と限定したとしても、すべてのアーティストが含まれてしまう。なぜなら、その作品やパフォーマンスを通じて不特定多数のファンに対し幸せを与えているからである。
「幸せを与える仕事」は確かに響きのよい定義だが、適合度の点で大いに問題がある。
ここでさらにアイドルが与えてくれる「幸せ」を突き詰めて考えれば、アイドルを好きになることで与えられた「幸せ」ではないだろうか。とすれば、最終的には中森氏の定義に辿り着く。
Further Discussion
ここまで読んできた方の中には、キャバクラのホステスやホストクラブのホストは「『好き』になってもらう仕事」ではないか、という疑問の沸いた方もいらっしゃるのではないだろうか。
確かに、ホステスやホストは様々なテクニックを使い客を自身のファンにすることで稼いでいるらしい。
逆に地下アイドルの中にはホステスとどこが違うのかと揶揄されるケースもあるようだ。
厳密さを期すならば、中森氏の定義の頭に「不特定多数に」をつけるべきなのかもしれない。