前回に引き続き、音楽サブスクリプションサービスを利用していて得た気付きを述べていきます。yaki.hatenablog.jp
目次
今回は、声優なども含む、広い意味でのアイドルポップスがどうあるべきかに関して感じたことを中心に徒然に語る。
結局のところ嗜好の問題のような気もするので、筆者の性癖の吐露と思って読んでいただきたい。なお今回は基本的に批判が主なので、具体名は極力控える。
パクリでもいいが、原曲を咀嚼して再構成すべき
聴いていると元の曲が透けて見え、オリジナルの方がきっと良いんだろうなと思わせるものが散見される。それは曲のレベルが低いという意味ではない。わかりやすい例でいえば、日本語版の海外ミュージカルを見る時の、あの感覚である*1。
よく知られているように、英語などに比べると日本語は子音が弱く母音が目立ち、また、その音節構造により、話し言葉から生まれるナチュラルなビートが弱い。そのため、一般論でいうと、日本語ネイティブが西欧圏由来の曲を歌うとサマにならない*2。
したがって海外の曲にインスパイアを受ける場合、いったん咀嚼して、歌声に合うように再構成する必要があるのだが、それが十分にできていない曲があるという印象を受ける。イントロやバックのサウンドはいいのだが、歌を聴くとげんなりするというパターンをいわゆる楽曲派とよばれるアイドルに見た。誤解のないように補足するがそれは歌が下手という意味ではない。
特に80年代後半以降、洋楽はリズム・ビート重視、メロディ軽視の傾向になっており、そのような楽曲を下敷きにする際は特に注意が必要だと思う。
アイドルにロックは合わない
日本のほとんどの女性(男性もだが)の歌声はロックに合わない。ロックとしての純度が高まれば高まるほどそう感じる(何がロックかは人によって違うだろうが)。シャウトしても悲壮感ばかりでカッコよく感じないのだ。上で述べたことに加え、欧米のアーティストとは体格が違い、そのことは声道特性、すなわち声の太さに影響するからだ。呼吸法も違うと感じる。
もちろん例外はいる。そういう人はソロでやればいいのだ。グループアイドルでそのような資質を持ったメンバーを揃えるのは至難の業である。やめたほうがよい*3。
新しさ・奇抜であってもよいが、歌が大事
聴いてきたアイドルの中には音楽的に尖っていることを売りとするグループがいたりする。音楽的な目新しさは必要だし、コンセプトやニッチも重要だが、歌がサウンドの一部となってしまっている場合がある。言い換えれば、プロデューサーの望むサウンドコンセプトありきのように思える。そういう場合、概して歌が記憶に残らない。
筆者はアイドルポップスとは、アイドルの歌声を楽しむ音楽ジャンルだと信じている。バックのサウンドはあくまでもその手段であり、逆に言えばサウンド自体は何であってもよい。そのような観点からすれば、歌や歌声が記憶に残らない楽曲はアイドルポップスとしては致命的だと思う。