今回はもがちゃんとみりんちゃんの関係性を語ります。といいいつつ、実はみりんちゃんを補助線とした最上もが論でもあります。
(2019/9/29追記)気が向いたときに、もが×未鈴のエピソードや情報をこの記事の注釈に追記していますので、たまに見直してもらうといいかもしれません。
目次
でんぱ組参加まで
もがちゃんはでんぱ組に参加するまで、みりんちゃんに少なくとも3回遭遇している。なお、ネトゲ内での遭遇は互いを意識していないので除外する。
1回目 ディアステージ
みりんちゃんの「みりかるファンタジー」リリース時に、もがちゃんはポスターを見ている。しかもディアステージで。当時の店長から直接スカウトされたのだ*1*2。
若干のナチュラルなディスりを交えながら(笑)、当時のみりんちゃんの印象をもがちゃんはこう語る*3。
デカいポスターがあって、「この子がいま、ディアステージで一番人気なんだよ」みたいなことを言われてて。最初はすごい痛い子だと思ってたんですよ。しかもゲームアイドルって言われてて、ゲームアイドルってなんだろうってずっと思ってて
「みりかる★ファンタジー」リリースの頃のできごとなので、2010年の春頃となる。悪夢のような所属事務所を辞め*4*5、叔父に誘われて滞在したデトロイトで心機一転した直後だと想像する*6。
なお、当時のディアステージの店長が男性であったことや、接客業は無理ということで、スカウトは失敗に終わってる。
2回目 最前ゼロゼロ
続いての遭遇は、2011年4月に開催された伝説のイベント「最前ゼロゼロ」@六本木TSUTAYAだ。たまたま、会場の傍を通ったもがちゃんはその印象を次のように語る*7*8。
あとTSUTAYAで1回でんぱ組.incを見かけたことがあって。
でもなんかお祭りっぽいことやってんな~って、人だかりができてるな~って。
当時のもがちゃんは、秋葉原のバーAKI85のオープン直前で超多忙だった頃ではないだろうか*9。ブログを見ると看板娘的なポジションのようで、もがちゃんによるDJイベントなども開催されている。
また、ボーカロイドのコスプレでも有名であり、翌月には、テレビ東京の番組「ドリームクリエーター」にも出演*10。さらに、コスプレ姿でインタビュアーの仕事もこなしている*11*12。
3回目 MEME TOKYOコンベンション
この遭遇は有名すぎるため説明は省略するが(最上もがをスカウトした理由「あのどら焼き配っている謎の金髪は誰だ」。 - ライブドアニュースを参照されたい)、ここで披露されたビジュアルがもがちゃんの心を捉えたことは明記しておきたい*13。
そこでライヴを観て、ちょうど”Future Diver"の衣装で「すげぇ!」って。
耳、超かわいくって、そういうアート的なのも、、コラボもすっごい好きだから、「あ、いいなぁ」って思いました。
注目いただきたいのは、「みりんちゃんの活躍を見るもがちゃん」というモチーフが繰り返されていることだ。
一方、もがちゃんの活動はと言うと、このコンベンション開催の翌日(2011年10月22日)に、もがちゃんは「ボーカロイド3発売記念企画「ボーナマ53時間」」に出演し、またしてもテレビ東京の番組に採り上げられている*14。ボーカロイド界隈での人気者といって過言ではない。
最上もがとは何者か
古参のファンにとっては「何を今更」なのかもしれないが、もがちゃんの「お金のためにアイドルになった」発言しか知らない人には、別の景色が見えてきたのではないだろうか。
はっきり言おう。もがちゃんは有名になりたかったのだ。創作カットモデルの活動で芽生えた気持ちが、グラビアアイドル、アングラアイドル、イベントコンパニオンの活動を経るうちに明確に形づくられたのだろう。
そのためのアプローチとして選んだのがボーカロイドのコスプレということになる。自身の愛するニコ動などのネット文化と当時のボカロブーム、そして自身の恵まれたスタイルを踏まえたものに違いない。
ボーカロイドのコスプレは2.5次元的な方向性を持ち、でんぱ組のコンセプトとも重なる。だから2人は何度も交差し、最終的にもふくちゃんという傑物を介して合流したのだ*15。その後の2人の活躍について説明は不要だろう*16。
辿ってきた道は違えど、狭い業界ながらも有名人だった2人の「もっと売れたい」という気持ちはメンバーの中でも突出していたように思う。
みりんちゃんが、「なんか“友達”っていうより“戦友”っていう感覚のほうがしっくりくる」「うん、少し似てると思う。私ともがちゃん。」と語ったのはそういうわけだ*17。
そしてTGS2019
TGS2019の会期中、もがちゃんのインスタグラムのストーリーズに、中央への効果線を配したステージの写真とともに次のようなメッセージが上がった。
めっちゃ聞き覚えのある声…とおもったら、みりんちゃんおった
でんぱ組脱退後、もがちゃんが武道館にフラワースタンドを送り、みりんちゃんがtwitterでお礼をする、ということはあったものの、関わりはそれに留まっていたように思う。
そこへTGS2019。みりんちゃんはPlayStationブースの顔的存在、もがちゃんはPlayStationブースのレポーター、遭遇のチャンスは十二分にある。一抹の不安とともに出会いを待ち望んでいた中でのメッセージである。
みりんちゃんもtwitterで応える。
今日残念だったのはもがちゃんに会えなかった!実はビジネスDAYも行ったんだけどタッチの差であえず!
— 古川未鈴 (@FurukawaMirin) September 14, 2019
インスタで見たって言ってくれててうれしみ
意識的に感情を抑制したタッチのメッセージが「ザ・古川未鈴」で微笑ましい。
冒頭で繰り返した「みりんちゃんの活躍を見るもがちゃん」というモチーフが再び現れているのもエモい。奇しくも、今年はもがちゃんがみりんちゃんに遭遇してから10年目だ。
筆者がもがちゃんのインスタを見て「胸熱」と興奮してtweetしたのはそういうわけだ。
もがちゃんのインスタストーリーズ胸熱
— 弥紀 (@yaki2019) 2019年9月14日
*1:『 でんぱブック でんぱ組.inc』「2008→2013 でんぱヒストリー」 p.38
*2:もがちゃんには謎がいくつかあるが、その謎の一つがこのスカウトである。なぜもがちゃんをスカウトしたのだろうか
*3:でんぱ組.inc「W.W.D / 冬へと走りだすお!」インタビュー (2/8) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
*4:『 でんぱブック でんぱ組.inc』 「MARQUEE Vol.89」 (2012年2月20日発行) 再録 p.140
*5:2019/9/21追記) 大サービス!
Flash (1184) 2012.4.03 p92 「新絶望に効くクスリ」
*6:最上もが、初めての海外旅で得たものとは?「一気に前向きになれました」
*7:『 でんぱブック でんぱ組.inc』「2008→2013 でんぱヒストリー」p.38
*8:何で六本木を歩いていたのだろうか。
*9:AKI85オープン日!! | AKIHABARA85のブログ
*10:ドリームクリエイター☆ - announcer park (アナウンサーパーク)|テレビ東京公式アナウンサーサイト
*11:m.o.v.e / anim.o.v.e 03 (DVD収録内容ダイジェスト映像) - YouTube
*12:いずれも「もが」の名前での仕事だ。だとすると、「でんぱ組.incがなかったら“最上もが”なんて名前も付けてないし、そもそも表に出ることもなかったし」という発言は何だったのだろう(でんぱ組.inc「WORLD WIDE DEMPA」インタビュー (4/5) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)。
*13:『 でんぱブック でんぱ組.inc』 「MARQUEE Vol.89 (2012年2月20日発行) 再録」p.140
*14:村上社長ともがさんと南半球と両面テープ (2ページ目) - Togetter
*15:2019/9/29追記)
もがちゃんがメンバーに加わると決まった時のみりんちゃんの感想は最悪だ。
私、もふくちゃんに言ったんです。「あの子、新メンバーですか?」って。どこのメイド喫茶でも1人は異端な子っているんですけど、私、そういう子と基本的に仲良くなれなかったので「これはヤバい!」と思ったのを覚えています(笑)。最初は「うまくやっていけないかも」と思ってました」
『IDOL AND READ 009』 「古川未鈴 でんぱ組.inc物語~夢で終わらんよ!~」p.24
*16:事実を積み重ねていくうち、ある考えに辿り着く。もがちゃんはディアステージ、そしてみりんちゃんの活動を追いかけていたのではないか、だから六本木を…いや、やめよう、妄想だ。